同和教育を柱の中心にすえ、踏ん張っていきたい/松本 勝(埼玉県)
[ 2009-09-01 ]
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先日、埼玉県・県北の地域でブルーベリーを摘む機会に恵まれた。道すがら、吉田林の田園風景、鎌倉街道筋の「猪俣・百八塔」などを見ながらのドライブ。ブルーベリー摘みの場所は「甘粕」。天候に恵まれ昨年同様、カゴいっぱいの収穫に、にんまり。県北の風景は…周辺都市によく見ることができる巨大な郊外ショッピング・モールができ、地元の中小商店街は人通りが少なくなっている。これは、県北に限らずのことである。
私は、県南の高等学校に勤める一人。今、子どもたちの「部落問題」に関する意識は、「低い」。ちょっと前までは「差別の現実から学び」という前提があって、学習しながら、意識しながら、感性を揺り動かされながら、仲間としての生活を見つめる姿勢が見られた。しかし、今はどう見ても「無関心」状態。授業を通じて子どもたちの意識調査をしている。2002年の「法」切れ以降、学校現場での同和教育の後景化が原因と考えられる。
例えば高校生の意識調査を見ると、「部落問題を知ったきっかけは?」=「学校の授業で」=02年度で80・3%が05年度では63%へとなっている。また、埼玉県主催の「人権教育担当者研修会」のレポートの傾向を見ると…。県南地域で約100校が集まった中で、同和問題を生徒におろしている学校が15校程度となっている。
差別事象は無くなっているかと言えば、決してそんなことはない。07年の実習教諭採用時の差別調査書問題(埼玉県)、07年の解放新聞に報道された横浜の県立学校の「差別落書き」や08年の龍郷町の講演会での差別発言(埼玉県の元校長)などを見ればはっきりしている。
教育の大切さを感じる。人権教育一般の中に埋もれさせ(同和教育の「空洞化」現象)てはいけない。同和教育を柱の中心にしっかりとすえて、「こだわり」「かかわり」をもって踏ん張っていきたい。
(『明日を拓く』77・78号、「会員・読者のページ」から転載)