カテゴリ:予告情報
【報告者】 | 池田賢市氏(中央大学) |
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【テーマ】 | フランスの移民教育 |
【日時】 | 4月10日(土) PM6 - 9 |
【会場】 | 東上野区民館・201集会室 台東区東上野3-24-6 03-5807-1520 |
1962年、東京都足立区生まれ。中央大学文学部(教育学専攻)教授。博士(教育学)。大学では、国際比較教育学、教育制度・行政学などを担当。専門は、フランスにおける移民の子どもへの教育政策および障害児教育制度を研究。また、日本の教員養成制度改革や人権教育のあり方についても分析をすすめている。著書として、『フランスの移民と学校教育』(明石書店)、『世界の公教育と宗教』(共著、東信堂)、『教育格差』(共編著、現代書館)、『法教育は何をめざすのか』(編著、アドバイテージサーバー)など。
1789年の革命以来、フランスは外国人を「寛容に」受け入れてきた。というよりも、そもそも多様性の上に成り立つ「共和国」、すなわち政治的共同体としてその成り立ちが理解されてきた国である。
このことは、教育制度にどのように反映されているのか。日本の場合と比較したとき、少なくとも次の点が特徴としてあげられる。
まず、国籍を問わず義務教育が保障される点。なお、それは日本のような就学義務ではなく教育義務として規定されている。
次に、道徳教育のような価値教育が行われない点。フランスでは「市民」となるための教育は存在しても、ある一定の価値に基づく個人の生き方については、公教育はかかわりをもたない、もってはならないとされる。
つまり、学校の役割は、多様な個人を「共和国市民」として育成することにあり、公私の峻別を前提として公教育が成立していることになる。ここで問題となるのは、私的時間空間に属するものは公的時間空間たる学校に持ち込んではならないという点に関する具体的対応である。その私的領域に属する典型が宗教であるとされる。憲法にも共和国が非宗教的(ライシテ)であることがうたわれ、2004年には、公的領域における宗教的シンボルの着用を禁止する法律が成立している。
しかし、この法律に対しては、イスラームを狙い撃ちにした「排除」的立法であるとの批判が成り立つ。なぜなら、この法律は実質的には、ムスリム女子生徒のスカーフ着用を禁止するものだからである。スカーフ着用を理由に登校禁止にした校長による措置をめぐってフランス世論が二分したのは、革命200年の年、1989年であった。
このいわゆる「スカーフ事件」以降、毎年のように、共和国とイスラームとの不和がマスコミで報じられるようになった。
フランスにおける移民教育は、フランス語の習得を中核にした政策であった。出身国の言語・文化教育も実施されているが、その目的は、フランス社会への統合であり、けっして「多文化尊重」的意味合いをもつものではなかった。フランス共和国にあっては、公的に複数の文化が存在することはない。フランス語の習得が強調されるのも、それが統合の核だからである。マルチであるのは「個人」なのであって、統合された「市民」はひとつなのである。このように特徴は、「共和国原理」と呼ばれる。
国籍や宗教等にかかわらず、ひとしく「市民」として共和国のメンバ―になる、これがフランスにおける平等の意味である。国は、個人の宗教や文化・慣習等には関心をもたない。
おそらく政治学的には、このような説明で満足するかもしれない。しかし、教育の世界で、このような社会観が、少なくとも実践論として通用するかどうか。学習会においては、1960年代後半からの移民教育政策を概観し、移民(教育)の何が問題とされてきたのか、それへの対応の評価等を試みながら、人権論・権利論と共和国原理とをどのように関係づければよいか、考えていきたい。
※お知らせのPDFもご参照ください。