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2011年3月26日、東日本大震災・原発事故の中、東日本部落解放研究所の歴史部会が開かれた。大熊哲雄さんの司会によって、まず、吉田勉さんから「連載を読んで」という発表がなされた。その後、藤沢さん自身から「連載を終えて」と題して、執筆にあたっての課題・問題意識、そして各章に渡っての意図が説明された。後半は、質疑応答が行われた。なお、本連載は『月刊・部落解放』に30回にわたって掲載され、昨2010年12月に完結したものである。
吉田さんは、藤沢さんの方法を部落・差別の歴史を「徹底的に、地域社会からの視点から」とらえ直すものと読み、それが「部落解放の道すじのとらえ直し」となるものであると評価した。藤沢さんは、何故差別がなくならないのかという現実の問題を、地域社会から解いていこうとしたのである。「地域社会からの視点」とは、まず政治権力の関わりを括弧に入れて、全社会的な分業体制の歴史的な展開の中で再検討しようとする方法である。ともかくこれが可能であることを、藤沢さんが連載の中で実際に示したことが、高く評価されるべきと吉田さんは述べた。一方で、以上を踏まえた上で、政治権力との関係をさらに論じることが、今後の課題だろうと吉田さんは言う。
藤沢さんは、差別と身分を区別すべきだと言う。部落・差別の問題は、階級論・身分論に還元してはならず、差別される人々の集団性・自立性を認識しなければならない。黒田俊雄に代表される「体制外」の存在、体制からの脱落者という見方では、差別を追認するだけでなく、その集団性・自立性を見捨てることになる。部落・差別とは、地域社会という共同体が、もうひとつの共同体を疎外・排除している事態である。
藤沢さんは、まず多様な差別の実態を認識することが必要だと思う。近世において長吏・「非人」だけでなく、「賤民」とされた多様な人々がおり、また芸能民・民間宗教者もいた。これらの人々は、中近世移行期から成立してきた地縁的共同体(村・町)に根をもつ平人社会から排除・疎外れる一方、旦那場をもつという共通点がある。しかし、「賤民」とされた人々と芸能民・民間宗教者との差異もあった。近世中後期においては、芸能民・民間宗教者(宗教者としての身分・処遇)を平人社会の下層に組み込もうとする動向が強まるとともに、「賤民」との差異を拡大していく動向があった、と藤沢さんは言う。
藤沢さんは、「社会的分業の一翼で、ある特定の職能・役割とそれを担う集団」が平人社会(「一般」という観念)から「特殊」という見方をされて排除・疎外された処に、部落差別の根源を見出すのである。近世の長吏・かわたは、農業に従事する一方で、斃牛馬処理・皮鞣し・地域の見回り・警備・牢番・刑務・竹皮草履や雪駄の製造販売などの仕事・役割を行った。後者の仕事・役割は、旦那場という地域社会との関係性の中で行われた。これらは、境界領域(内と外・あの世とこの世など)に関わる宗教的・呪術的なものであった。藤沢さんは、連載の中でこれらの仕事・役割を各地の研究を検討しながら、その意味を明らかにしようとした。様々な論点が提出されたので、さらに具体的な検討が求められる。
藤沢さんの連載は、この歴史部会において、15年ほどの間に行われてきた議論と史料理解をまとめあげたものである。関西をモデルにした部落・差別の歴史像を相対化し、東日本の歴史を踏まえて、政治起源説を克服する理論を作り上げていこうというのが、この歴史部会の方向性であった。藤沢さんの力業が、この方向性を現実な形に仕上げてくれた。今後、東日本の部落・差別の歴史を考える際の、最も基本的な文献となるはずである。
今回の部会には、これまでの議論を重ねてきた人たちが、大変な状況の中、一同に集まってくれた。藤沢さんの人徳による、というべきである。(坂井康人)