カテゴリ:報告情報
2月12日、台東一丁目区民館で、第7回鉦打・時宗研究会が開かれた。今回は、坂井康人氏から「栃木・茨城・千葉の鉦打・時宗について」と題して報告を受けた。参加者は16名。
坂井報告は、栃木・茨城・千葉の県市町村史から鉦打関係史料を博捜し、また藤沢山清浄光寺(遊行寺)の公用日記である『藤沢山日鑑(とうたくさんにっかん)』に登場する時宗寺院の存在や鉦打関係の記事、先行研究論文所載の史料、『一遍聖絵』や『分間延絵図』の図版コピーなど、B5版63ページをこえる資料に基づき、栃木・茨城・千葉の鉦打・時宗にかかる史料を紹介しながら、各地の町村における鉦打の家数・人数、鉦打町の存在、在地の鉦打の遊行寺への年参上、農地所有、「鉦打の七変化」と称される生業(飴屋など)、菩提寺・小本寺、市と鉦打との関わり、「時宗遊行派ニテ妻帯」とされる「旦過僧」の存在、主流派たる遊行派とは別に、当麻(たいま)派、一向派、解意(げい)派が存在したことなど、実に多彩な論点を含むものとなった。2時間の報告時間が足りないほどの力のこもった報告であった。
坂井報告の後、休憩時間をはさんで、2時間弱の質疑応答が行われた。なお、質疑応答に際して、司会役でもあった大熊哲雄氏から、在地の鉦打の菩提寺・小本寺との関係にかかわって、鉦打集落に堂宇および共同墓地が存在する事例や、在地の鉦打が宗教者名(阿弥号以外もある)を名乗るケースや、俗名を名乗るケースもあることにかかわって、天保期の鉦打宗門人別帳を表化したものが提供され、息子が父親の宗教者名を世襲している事例などが確認された。その他、時宗内における鉦打のポジション、菩提寺が時宗でない事例、隣接する鉦打集落と長吏集落の関係、鉦打と百姓の関係など、質疑応答は多岐におよび、4時間にわたる充実した研究会となった。
次回は5月14日(土)、大熊哲雄氏より「群馬の鉦打・時宗について(仮題)」について報告を受ける予定。(吉田勉記)