歴史部会を開催‐甲斐に関して関口博巨氏が報告(1月30日、上野)
[ 2010-01-30 ]
カテゴリ:報告情報
報告テーマ:「弾左衛門支配とその境界‐東国の賤民身分と差別」
報告者:関口博巨氏
関口博巨氏は、山梨を中心とし、近世史と東国の部落史を研究されている。
以下、報告の要点を下記に箇条書きする。
・甲斐の国は、弾左衛門支配の境界・周縁に位置する。
・甲斐は郡内地域と国中(くになか)地域に分かれ、郡内の長吏は弾左衛門支配に入った。
国中の長吏や被差別民は、国中三郡規模で身分組織を形成した様相はない。
国中三郡の長吏も寛政年間に弾左衛門支配への編入を願う訴願闘争を行ったが、認められなかった。
・甲斐には、極めて多様な被差別民がいた(『甲斐国志』「人物部付録」参照)。弾左衛門支配地域とは様相が違い、東海・東山地方、あるいは西国的な身分状況に近い。
・甲斐には強力な非人集団があり、郡内地方では、非人と、それを弾左衛門体制同様に支配しようとする長吏との間に、厳しい抗争があった。安永七年令をきっかけに、村方と結んだ非人の行動が強まった。長吏が奉行所に提訴し、幕府・評定所は長吏の支配を裁定した。それに対し、寛政五年に非人は京都悲田院の支配下に入った。
・猿引は牢番頭(長吏ではない)の支配を受け牢番も務めていた。相当の資力を持った仙蔵は村方から圧迫を受け、出奔・帳外に追い込まれた。
・慶応四年九月(「賤民制廃止令」以前)に、三郡の猿引は「新『百姓』」身分を獲得した。